「同調圧と言葉狩り」…日本人の歪んだ倫理観

コロナ禍以降、それまで普通にできていた様々なことにストップがかかったままになっている。 例えば、この猛暑の中でもマスクをして歩いている人をかなりの割合で見かける。もちろんそれは感染症対策であり、健康維持のためにやっていることは理解する。
だが、どうもその背景に、「病気を正しく怖がっていない」という風潮があるように感じるのだ。

教育現場にいて強く危惧していることがある。
それはコロナ禍以降、子供達のしゃべり方が変わってしまったということだ。
口を大きく開かず、発音も不明瞭。声も小さい子が多い。
だから授業中に私は子供の発言を何度も聞き直すことになる。
マスクの常用は明らかにコミュニケーションの萎縮に繋がっている。
マスクはパンデミックがもたらした、新たな同調圧の象徴なのである。

さて、ここからが本題に入りたい。

いま、学校の卒業式では「仰げば尊し」を歌わないという。
教師に対する恩を強制しているようでよろしくない、というのが理由らしい。
非常に残念であるし、一種の憤りすら感じる。
あの歌ほど日本人の心に響く素晴らしいものだと私は思っている。

また、テレビで、宮崎駿監督の『耳をすませば』を放映すると「(主人公たちが眩しすぎて)見ると心がしんどくなる」という声(クレーム)が寄せられるという。
精神的に限界の人に「がんばれ」と言ってはいけないという、現代の理屈と同じなのだろうか。
一方で、『火垂るの墓』は名作として扱われる。
私は個人的にこのアニメは子供にとって救いがなさすぎると感じている。
何の救いもないアニメである。子供達によくその話をする。

現代は個人発信の時代だが、SNSなどのプラットフォームでは「コンプライアンス」の名の下に、言葉の規制が敷かれている。
例えば、YouTubeでは「死」や「殺」といった文字を伏字にしないと削除されるという。
それならば、教育漢字からその二文字を抹消せねばなるまい。(死は3年生で殺は5年生で習う)

私は、このような行き過ぎた「言葉狩り」の風潮に強い反感を覚える。
ネガティブな言葉を隠すことで、結果的に「生と死」という、人間や生命体にとっての根源的な「哲学」から、子供を遠ざけることになっていないだろうか。
無菌室のような環境で育った子供たちに、「他者を思いやる心」や「命の重みを大切にする心」は育つのだろうか?
こんなことをしていると「弱い者いじめ」は増える一方である。

はっきり言えば、ノイジーマイノリティの声を恐れるあまり、大人がまともに受け止めることから逃げているだけのように私には見える。
大人は、「なぜ、人を殺してはいけないの?」という子供の根源的な問いに対して、臭いものに蓋をするのではなく、きちんと自分自身の言葉で答えられる「用意と覚悟」を持っているべきではないか。

人間社会の闇の部分(を表す言葉だけ)を隠す、現在の日本の「コンプライアンス」は、教育という視点から見ると、どこか大切なことを見落としているように思えてならないのである。


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