差別化と言う名の没個性教育
これは以前からずっと思っていることだが…。
日本人という民族は、どうもそのDNAの中に「出る杭は打たれる」の思想がまだ根強く残っているようだ。
江戸末期、鎖国を解いて西洋文化の波が押し寄せた。
もう150年以上の時が流れたが、未だに心の底には江戸時代の庶民感情が残っている。
前回にも書いたことだが…個性的でありたいと願う日本人は多い。
でも、いざとなると「皆と同じ」を選ぶ。作られた流行に乗ってしまう。
商経済では、「差別化」が勝敗を決する。同業他社との差別化によってヒット商品が生まれ、売れる。
私学教育も商売の一種である。よって“顧客”のニーズを敏感にキャッチし、他にない教育を実践した学校が勝つ(多数の入学者を集める)。
◆「探究」をパッケージ化する滑稽さ
ここ最近まで、メディアでは「グローバル」だの、「多様化」だのと喧しかった。
学校では「アクティブラーニング」がトレンドである。その中で「探究学習」は問題発見や解決のプロセスを重視する代表的な手法の一つである。
あてがい扶持の問題を解くだけではなく、自分が問題を発掘・提起し、積極的に探究してゆく…。勿論、大変結構なことである。
だが、待てよ!
その探究学習なるものを「講座」にしてしまった段階で、もはやそれは「探究学習」とは呼べないのではないか?
こんなことを言っては大変失礼かもしれぬが、つい最近参加させてもらったある私学の入試説明会では、この探究学習を盛んに推していた。
この“講座”ゆえに、大学進学も就職も実績が出てきたのだ…と鼻息があらい。
◆見失われた「本来のイズム」
私は、この学校の風向きが変わったことに気付かずにいた。
もう何年もの間、この学校を受験する自塾生や個別指導生がいなかったからである。
確かにシステムはよく整備された。仰る通り実績も上がった。そりゃ受験者も倍増するだろう。でも私は、本来持っていた気風がなくなったような気がして、会の途中からそのことばかりが頭の中でぐるぐると回っていた。 因みに「気風」を見失った学校は非常に多い。
どうして、グローバルなのだ? 欧米ではその見直しがすでに始まっていて、ナショナリズムに回帰する傾向にある。
また、英語教育に力を入れていらっしゃるようだが、一見すると世のニーズに合わせた教育のように見えるが、結局は英語力が一流企業へのパスポートになりえるからだという本音が見え隠れする。
さらに、「今年の併願パターンには、あの有名でハイランクな〇〇中学も上がってきている」と、かつての自校の理念とは真逆の学校群と肩を並べたことを堂々と誇る始末だ。
◆作られたレールと、壊れる子どもたち
聴いていて、私は自塾の生徒にこの学校を勧めたことが少々勇み足ではなかったかと感じてしまった。 先進の教育を展開していると何の疑いもなしに考えていらっしゃる。
確かに、国際化と多様性とアクティブラーニングは、三種の神器のような存在であった。だが、今はもう日は傾いてきている。
未だに「いい大学」(国立、医歯薬、難関私大)推し、そしてその先は大企業への就職…というレールを敷いて、大量に生徒を輩出しようとしている気がするのである。結局は昭和となんら変わっていない。
確かに今現在はうまく回っている。が、果たしてこのまま伸びてゆくだろうか?
この学校も早晩、不登校生が急増するのではなかろうかと老婆心ながら思う。
余計なお世話かな(笑)
古い言葉だが、五者の役というものがある。
その中に「先生たる者、易者たれ」がある。
子供の未来を見通す。子供の能力を見いだせということだ。
そして、同時に世の中の未来も見通す千里眼を先生方には持ってほしい。
システムで子供は伸びない。誰に教わるかで差がつくのである。
好ましい学校がまた一つ減った。
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